「簡単なものでいいよ」は気を使っている言葉なのか?
ゴールデンウィークが終了しました。
いつも通りの月曜日が迎えられて少しほっとしています。
月曜日は家事に集中する日と決めているので、
掃除・洗濯・食事の作り置き・雑草取りなどをしました。
そこまできれい好きでもないですが、洗濯物やほこりが溜まっていたり、
見える場所が汚れていたり、雑草が生えたままだとモヤモヤします。
行動に移せばすっきりした気分が待っていると思うと、
面倒だけどやってしまった方が自分にとっては健康的です。
さて、今回の連休でもそうだったんですが、外出をして帰りが遅くなった時、
夫から「夕食は簡単なものでいいよ」と言われることがあります。
そのたびモヤモヤしてたんですが、そういえば何を簡単な料理と捉えているか
聞いたことがなかったので、直接聞いてみました。
答えは卵焼き、目玉焼き、カップ麺とのこと。
その日は夕食の準備をしていたので普通の食事をしましたが、
聞いてすっきりしました。今後はカップ麺決定です!
多分、夫は出来上がった結果だけを見て「簡単」と捉えているんでしょうが、
私は料理を作る、食器を洗う・片付けるなどの過程を考えてしまうので、
気を使っただろう発言もそうは受け取っていませんでした。
カップ麺なら自分でお湯入れて作ってもらえばいいので、
夕飯の事まで考えて前日準備する必要は無くなりそうです。
休日は帰ってからの食事の準備が面倒だったんですが、
ちょっと気楽になりました。
結局、子供の食事は別で作らなければいけませんが。
専業主婦なんで、まぁ、作るの当たり前なんですけど、
「簡単なものでいいよ」という言葉には「それでもそっちが作って当然」
という意味合いが含まれている感じがします。
こういう時は「夕飯どうする?」と一言聞いて欲しいところですが、
今後は自分から「夕飯用意してまーす」とか「何にも家にありませーん」
とか言う事にします。
その方が自分にとって健康的なので。